六本木クロッシング

数年ぶりのクロッシング。前回はなんと2004年ですわ。
見切れないくらいのボリュームで、確かくさまとりっくすと併設だったような。
前回は参加アーティストの数もすごかったせいもあり、畠山さんとか、展示空間がきつきつで配慮がないのが残念だなーって感じでしたが、ニブロールとか田中かつきとか、深澤さんとか、幅の広さはすごかった。キュレーションに紫牟田さんが参加していて、彼女ならではのエディターセンスが生きたセレクションでした。
なんていうのかな、ムックとかで出ているような「○○が分かる」シリーズみたいなね。「イマドキのアートが分かる!」的な展示だった。
賛否両論かもしれないけど、これはこれで、時代の空気感をうまく切り取ったものだったと思う。
アートやデザインがトレンドでありブームであり、おしゃれなサブカルチャーになりあがりなりさがった時代の空気感を、箔のある美術館でもそのまんまみせちゃいますけどね。的なふてぶてしさ。
畠山さんの展示で、周囲の展示とのバランスで適当な照明配置にさらされあの緻密な世界観が表層すらつかめない状態だったりしたのはその弊害。
そこにこだわるよりも「それらを詰め込む」ことに意味があったんだろう。

そんなこんなでわりと印象に残っていたので、第二回も見ないとな、と久々に森美へ。

混み合うなかを必死に回るも、最後まで「あーーー」と「?」がつきまとう内容だった。
「今見たい36作家」。「今見ておくべき」という意味では、前回とコンセプトは変わらないんだろうけど、感じる決定的な違和感。
キュレーターが

天野一夫(美術評論家京都造形芸術大学教授)、荒木夏実(森美術館キュレーター)、
佐藤直樹(ASYLアートディレクター)、椹木野衣美術評論家

特定の世代に偏っているからだろうか、とも思う。
飴屋さんとかガビンさんとか、確かに椹木氏が時に扇動、時に流してきたアーティストたちにあこがれる居場所のない子どもだった自分には、今唐突に集められた彼らの作品を「今見せるべき」といわれても、どうにもぴんとこない。

ひとりひとりは好きだったり、その作品を理解してみたいと思える作家ばかりなんだけど、企画展として流れるものが全然分からない。
回顧主義とか同窓会とかそういう、なんだか俗っぽくて中途半端に暑苦しい意図ばっかりが迫ってくる。

作家それぞれの表現形態は絵画、彫刻、写真、デザイン、映像、演劇、マンガ、ゲーム、人形、ペンキ絵などさまざまです。近年めざましい活躍を見せる若手作家と共に、60年代、70年代の日本のアートシーンを牽引し、今なお精力的に活動する作家たちも紹介します。作品の意外な組み合わせの中に、不思議な共通点や影響を発見したり、予想外の楽しさや新鮮なエネルギーを見出すことができるでしょう。

そういうことか、って気もするんだけど、うーん。
無理やり時系列の史実に押し込むことで、教科書的な系統はできても、心には響かない。なんかある意味お勉強のできる感じの展示だったのかも。
森美の規模でこれやってもなんかつまんないよなーって思うのは自分だけでしょうか。涙。
現美の常設コレクション展見るほうが、自分なりの発見があって楽しいと思う自分にとっては、アートは「社会」に昇華しきれるものじゃないのかも。

文句ばっかり書いてしまいましたが、いくつか発見もあったので箇条書きで備忘録。

・チェルフィッシュという演劇ユニット、初めて知ったけど面白そう
・シモンさんの作品はホワイトキューブで見るとすごく他人行儀
・できやよい作品に念や狂気を感じなくなったのは自分の鈍さか
佐藤雅彦作品のそれは完成度故にクラフトワークの中では浮く。でも単純にそこだけで楽しく完結するのがすごい
・小粥さん作品の視覚的な完成度と作品に盛り込んだ業の深さがやっぱり好き
・エンライトメントはどこまで確信犯的に汚れた極端を目指すんだろう。もうすぐ対極のピースフルが反動でくるのか
・田中偉一郎作品が会場では一番盛り上がってました。展示の終盤で出会うと、なんだかやさしくて、健全に感じるから不思議
・名和さんの「灰汁」という作品がよかった。彫刻が分からない自分ですが、ときどきその大きさやリアリティの錯覚にくらくらする