ZAZEN BOYZ、日向秀和脱退

「脱退」という言葉が苦手だ。昔から。冷静に考えると、「ぬけてしりぞく」というそのままのことなんだけど、「脱落」という単語のイメージに引っ張られがちだ。今回はどうなんだろう。

日向秀和脱退のお知らせ】
☆このたびベース日向秀和ZAZEN BOYSを脱退いたしました。
これは、前向きな話し合いの結果によるものです。
ZAZEN BOYSはあらたな活動に向けビリビリと準備中でございます。

日記にはその過程も記されている。

日向と話をする。
いくつかのバンドを並行して活動している彼のスケジュールあわせに限界があり、一緒にやるのは現実的にむずかしい、そしてそれに伴いノリが違ってきている、ちゅうようなことで、ZAZEN BOYSを辞めてくれい、という話をした。
スケジュールは折り合いつけて、やれはするが、現在の状況は折り合いが付けられる状況でなく、こっちの(ZAZENの)予定が立てられん、という具合である。

彼のベーシストとしての才能は素晴らしいものがあり、共に演奏できんのは残念である。
ただ、この状況ではその才能を十分に生かせんし、俺が描くヴィジョンを形にして、ZAZEN BOYSをさらに進化させるためには、体制を変える必要がある、と俺は考えた。

アヒトの時よりも簡潔、ストレートなメンバーとの接し方に、向井さんだなあ、と思う。我の世界が他人のなによりも大切じゃけん、と公言できる人。バンドはメンバーでできているものの、バンドの目指す方向性はバンドにもっともコミットして執着している我が常に規定していき、それに沿わないものは「バンドにとっては」不要だと言い切れるエゴ。かっこがよろしい。


馬鹿なワンフーなわたしは、ちょっとだけ振り返って感傷に浸らしてもらおう。すいません。

日向氏は、ZAZEN BOYSの誕生に、その音世界に本当に大きな影響を与えてきた人だと思う。若いし、何となく追従しているイメージがあるかもしれないけれど、向井さんの日記に、町田のヤンキーと演奏した、とその驚きと楽しさが記されていた時から、どんなベーシストなんだろうとドキドキしていた。

ナンバーガールのベーシストも大好きだったけれど、彼はある意味、「ナンバーガール」の一部になっていたと思う。向井さんが求めた「ルード」でギターサウンドを低音で支える存在としてあった。そして、彼の自分の世界を表現したいという、ナンバガの殻からの脱皮宣言によって、このバンドは終了した。

初めて4人のZAZEN BOYZのライブを見たのは、北海道、EZO ROCKだった。彼らにとっても初めてのライブ。音源も聴いたことがない。そんな状況でブッチャーズに続いてREDのステージに上がった彼らは、自分たちが生み出し始めた、ワンアンドオンリーな世界に挑みながら楽しみ始めている、そんな感じだった。まだまだ本当のうねりはなかったけれど、聞いたことのない音楽、4人の持つ不思議な共犯感に、一種の演劇を見たような衝撃と、理解不能な音に流される快楽を体験した気がする。

それから何度も何度もライブを見た。回を重ねるごとに、唸ったのは日向氏のうまさだ。途中差し込まれるソロによる即興の演奏で、ジャズに近い自由さと、無駄話をするようなストレートさで魅了する。曲中では、彼のベースはその高度な技術で、全体を支える以上の存在感を放つ。一言でいうと「効いている」のだ。技巧に偏ることなく、とにかくギター、ドラムの音の合間に「効いてくる」のだ。うまく説明できないけれど、一緒にいった音楽好きは、みんなそれぞれのメンバーをほめるけれど、日向氏に関しては、「驚いた」と口にする。あんなに演奏で口を挟んで幅をきかせるベースは、確かにあまり聞いたことがない。そしてそれが、CDではなく、ライブで気付かせるところが彼らしい。

当時、何度かストレイテナーのライブも見ていた。最初は、日向氏は本当にサポートメンバーという感じだった。遠慮があるのか、当時のストレイテナーがポップの端境で重さをはかりかねていた時期だったからか、最後に、あ、ほんとにひなっちが演ってるんだ、という程度だった。次に演奏をみたときには、正式メンバーに名を連ねていて、彼らは3ピースバンドになっていた。彼はぐっと自由に演奏していた。楽しそうだった。兄貴風の日向氏は、ここでは違う自己表現をしてるんだなあ、と何となく不思議な気分になった。相変わらずうまかった。たくさん遊べるといいな(もちろん音楽のはなしです)と思った記憶がある。

向井氏とメンバーの関係は、何となく男と女のようだな、と思う。一夫多妻制の男と女。彼は、ZAZEN BOYSが求めるベストで、本人にとってのベストの演奏を常に求める。演奏だけじゃない、もちろんテンションも。その濃密が一片でも崩れることを、見過ごすことをしない。日向氏は複数のバンドで、もちろん異なるよさを出していたはずだけれど、その器用さはきっとZAZENの求めているビリビリ感とは相容れないものなんだろう。器用さに切実はないのかなあ、なんて思考回路を普通に信じ、ある意味ZAZEN BOYS向井秀徳としては正々堂々と断罪する。

日向もどっかで限界はカンジていたと思う。離れて、それぞれ発展していきましょう、という話になった。また、ZAZENではない形でもなんでも、また一緒に演奏できればイイ、ということも話して終わった。

徹底して男と女な向井氏が、古女房とライトな関係が築けるとも思えませんが、こんな言葉で終わったのは、演奏する人間としてのリスペクトなんだと思う。
久々にZAZEN BOYSのライブが見たくなった。