アマゾンとGoogle

日ごろ何も考えずにウェブの海にのまれている自分は、
あまり深いことを考えずに淡々といろんなサービスを使ってます。

なので、他人の分析や論評を聞いてふーんと思うことが多く。
アマゾンの話をすると、たいていの人は唯一無二の勝ち要素や革新性として「リコメンド機能」をあげますよね。

私たちが毎日抱く主観の意味が微妙に歪むネットの世界では、
一般論的なオススメが意味を持たない。
テレビで語られる主観は著名人のそれだったり、
日常生活で耳にする主観はよく知っている人のそれだったり。
ただ、ネット上にはあらゆる背景の分からない人の主観があるわけで、
それをどう参照していくかはかなり難題だろう。

そんな時に、実際に見知らぬだれかがお金を払ってまでこれを買いましたよ、
これが好きなこんな人は、これにもお金を払いましたよ、という情報が信頼性を持つのもよくわかる。

運営する立場からいえば、信頼されるかわからないありきたりのオススメに人手と頭を捻るよりも、毎日集まってくるユーザーたちの履歴を使いまわしてどんどん情報が増えるリコメンド機能は、非常に無駄がないといえるだろう。

この辺りはGoogleアルゴリズムのひとつである非リンク数と通じるものがありますよね。
顔の見えるだれかが薦めてくれているわけではないなら、せめて客観的に分析された数値で人がよしとしているものを選びたいという気持ち。
まあそこまで考えて使う人も多くはないでしょうが、この論理に従ってソートすることで、動的にランク付けはクリーンナップされていくし、何となく妥当な結果を出すことができる。

2つの企業のすごいところはきっと、そういう人が物を見るときの価値基準のゆらぎにいち早く気づいていた点と、メンテナンスという名前の日々の変化を一定の計算式に完全に託した点だと思う。
生っぽい人の手を介することよりも、もちろん経済的な無駄がないことは当たり前として、一定の機械化で疑問の余地をなくしているところがある意味潔い。

自分はといえば、アマゾンのリコメンドは狙ってもいないのに時に過剰に生々しく見えて苦手なのです。でも自動化した上でのこの生々しさに、人の工夫を超えた、かといって数字だけでも語れない不思議を感じるのです。
ぼめてるのかけなしているのかよくわかりませんが。

で、続き。
WEB2.0もそうですが、ネット上で発信されるさまざまなもの、ネット上のさまざまな履歴が、一定の重み付けで簡単に整理されたり再活用される状況になればなるほど、個人的にはひとりひとりの人間の気持ちや意志に負うところが多くなる気がするのです。
平凡な言葉でいえば、善意。ちょっと違うかな。
正しい意志とでもいったらいいのか。

意図的な悪意を潜ませれば、それをも情報としてみてしまうネットのグレーゾーンが気になるのです。
そんなことを考えていたらあるアフィリエイトサイトに関して
以下のような記事を書いている方を発見。

A8は、嘘のクリックを生み出す

こういうクリックが積み重なっていくことで、素人にはどれがまともな数値でどれが悪意によるものかがどんどんわからなくなるような不安があります。
アフィリエイトとか全然やらない自分には理解できてないところだらけですが、
漠然とした不安を感じます。

何だか話が脱線しまくって何が言いたいのかわからなくなってきたので
この辺で。