14歳

5月に見た映画を今頃。

@ユーロスペース

「窒息しそうな毎日を変える方法がある」

ひとりで紙を燃やしていた深津は、飼育小屋の放火を疑う教師を刺してしまい、居合わせた同級生の杉野の脳裏に生々しい記憶を残す。12年後、精神科に通いながら中学教師になった深津(並木愛枝)と電気会社の測量士になった杉野(廣末哲万)は、希望の見出せない日々を送りながら、ふと14歳だったころの自分に思いをめぐらす。 (シネマトゥデイ

ストーリーの要約はこんなものですが、


「生き物は戦いを選ばないようにできている。やむを得ず戦っているだけ」
主人公の主治医である精神科医はこんな言葉を口にする。
「物事は0か100かで選ばなくてもいい。逃げたっていい。それが大人の特権だ」とも。

大人になったって、14歳が過去になったって、わたしたちは何からも逃げられはしない。鈍化して忘れていくことはできるかもしれない。でも決して逃げ切れたわけではなく、また別の脅威が待っている。多分多くの人は、だましだましやり過ごして生きていくんだと思う。

生き物は戦いを選ばないのかもしれない。でも人間は退屈を全面的に受け入れて生きていくこともできない気がする。

14歳のころの自分は、毎日毎日、世界が終わればいいと思っていた。何もかもご破算にしてくれないと、退屈に食いつぶされると思っていた。

だから、クラスの中で小さな出来事が起きると、救われた気分にすらなった。裏切りや嘘、対立。

一番強く感じていたのは、同じ絶望を抱いているであろうと思っていた同じ14歳どうしが分かり合えない不条理だ。大人がどうとかより、同級生たちの小さな小さな翻意の波にひたすら脱力していた。

脱力なんて言葉はたぶん、大人になってから知った言葉で、あれは脱力じゃなかったな。白黒な感じだった。色や輝きや希望がなかった。居場所もなかったし、居場所があったとしてここではないどこかであってほしいと願っていた。

映画のなかで、14歳による攻撃や侮蔑、多くの苛虐が描かれる。血をもってして、言葉という凶器で、傷つけあう。

相手が14歳だからでもなければ、多分彼ら自身にとって14歳であることは無関係だろう。ただただ、他人を一番残酷な方法で傷つけることで、何かが変わることを望んでいるだけ。だから、とにかく、一番残酷な方法じゃなくちゃいけない。

後半、大人になった元14歳の会社員は、14歳の時に大人にいわれておそらく一番えぐられた言葉を、現在の14歳に口にしてしまう。「14歳だったから」「14歳だから」なんてきれい事じゃない。人間はきっと、退屈に耐えられない生き物だからだ。

自分の何かを決定的に奪っていった言葉を、同じ立場の相手にぶつけることで、目の前で消えていくものがみたくなってしまう。それを客観的に眺めてみたい。その気持ちに理性で逆らえない。

ドキュメンタリーでも何でもないのに、わたしにとってこの作品は、「映画」を見ている感じがしなかった。登場人物たちの行動は、そのまま自分がその場でとるであろう行動に思えたから。

つじつまをあわせなくてはいけないプレッシャーと、おだやかでだれもをやさしい気持ちにするような時間軸の誤解にはがいじめにされているのは、14歳も大人も変わらない。少なくともわたしはそう感じた。

生徒に体罰を与えながら、自分自身をも激しく殴打して、「間違ってないだろ」と繰り返す教師も、14歳の時に放火騒動を起こして教師を刺してしまった過去を持ちながら、教師として学校に戻ってきた主人公も、実際にやっていることと彼らが頭の中で描くその動機を、彼らの言葉で語ってみれば、できすぎているくらいにつじつまがあっている。つじつまをあわせることは、おそらくひとつの逃げ場だ。

自分自身も日々、つじつまをあわせることばかり考えて生きている。つじつま。これが大人になってから学習した処世術かもしれない。それでも毎日、あのころと同じようなことも夢想して、ここではないどこかへ、半ば調子よく思いを馳せている。きっと世界をのろう気持ちも薄くなってるんだろう。かわりに鈍くなった自らの陰惨さを目をつぶりながらのろっている。毎日。

14歳の少年に、14歳の自分が一番傷つけられた言葉を浴びせ、笑い、苦しんだ男性はもう一度少年の対峙する。14歳の切迫感で構えた震えるナイフを取り上げ、頬をはたき、椅子に強引に座らせ、こう口にする。

「悲しいけれど、今の世の中にお前たちと真剣に向き合ってくれる大人はいないんだ。
お前が望むなら俺は向き合う。
ただ、もし、お前が誰かを傷つけるなら、俺もお前を傷つける」

わたしたちの胸の中には、多分正義感でもなく、欺瞞でもなく、それはむしろ敵意や憎しみの領域に近いところで、まっすぐな何かが残っている。それは、いつも相手に対等を求める。

誰を守るのでもないこのまっすぐな宣言に、わたしはただただ救われた。「俺がお前を傷つける」。こんな引き受け方で、わたしたちはとりあえず前に進む。大人になることは、許せることが増えることではない。許さないことがあることも、わたしが世界に何かを誓える根拠なんじゃないか。
そんな風に思いました。