「ポータルサイト」という言葉のむなしさ

会社の隣にコナミの自社ビルが建っている。
そのお隣に借りて入っているネット企業的には、製造業のすごさを痛感したりする。
一度価値のあるゲームコンテンツを開発すれば、プレスするだけで世界中の流通先で売れるたびに何%かのお金が入る。しかも自動車みたいに工場の規模もでかくない。コンパクト。
ネットポータルは結局、ドメインというネット上の架空の敷地上に「やってきたひと」が行動してくれてはじめてお金が入る。すべてはその敷地上の話だ。その敷地は自分の手でちこちこ増やしていかないといけない。コンテンツの意味を理解して、活用してくれる人が「やってくる」ことを、店舗のようにお店を開けて待っているだけ。

製造業にひたすらあこがれていたけれど、はっとGoogleのことを考える。Adwordsもすげーけど、この会社の典型は、Adsenseだろう。何しろ自分の敷地外、下手したらネット上のすべてを儲けの舞台にできちゃんだから。もちろん、それをユーザーとシェアするという点も彼らの真髄なんだけど、とりあえずそこは置いておいて。

ポータルのドメイン上と、ネット上のすべてのサイト。この差は可能性という単位ではかるなら、ため息がでるほど大きい。

発想の転換。このままここで稼いでいても限界があると知ったときに、もっと広い市場を求めるのはどんな業界でもあることだろう。でも、G社がすごいのは、すべては「検索」というとてもシンプルで、庶民的な行為の先にあるテクノロジーが実現したことである点だろう。辞書の引き方に高度なtipsなんかなかったし、図書館で本を探すときだって、とりたてて達人技はなかった。それはとても属人的で、人それぞれそこそこの調べ方ができれば満足しているようなものだったろう。
「ネット上の検索」だって、特に初期は、リテラシーの高さで使える人は堪能して、使えない人はそれなりに、で妥協する可能性だってあったと思うのだ。そこに、徹底したテクノロジーを導入して、だれが使っても、とまではいかなくとも、大多数のひとが「納得」して使えるクオリティを技術的に実現しようと試みたところが彼らの強さと聡明さだと思う。

結局コンテンツどうしのマッチングを見たり、ワードに対しての適合性をみたり、彼らのビジネスはどれも「検索技術」の延長なんだよな。

小さいところで競いあっているけれど、結局「ポータル」という言葉を悲しい響きにしてしまったことこそ、彼らのすごさだと最近思う。