大友良英ほか『幽閉者』公開+サントラCD発売記念LIVE

たまりにたまった代休消化。もとい、平日の夜にライブなんて何年ぶりだ? ZAZENやパラガに直行していた当時がナツカシス。
浅草に4時前に着。神谷バーでまったり飲んでアサヒビールのアサヒ・アートスクエアへ。吾妻橋ダンスクロッシング以来だなあ。

『幽閉者』公開+サントラCD『大友良英/幽閉者』発売記念LIVE
2007年2月23日(金)
18:00開場/19:00開演
出演:大友良英(g,TT, perc)、秋山徹次(g)、飴屋法水(物音)、ジム・オルーク(g,syhnth)、Sachiko M(sinewaves)、ロードリ−・デイヴィス(harp)
オープニングアクト 足立正生佐々木敦大友良英 
会場:アサヒ・アートスクエア

イベントはトークショーとライブの二部構成。トークショーでは大友さんと足立監督の対談(司会は佐々木敦氏だったんですね。。。なんだか雰囲気が変わられていてわからなかった。。)。
映画の感想はちょっと前に書きましたが、あの時代感を共有できなかったり、やはり歴史的、思想的背景に理解が浅かったりというのが自分のなかで引っかかっていて、大友さんはそのどの部分に惹かれて音楽を引き受けたんだろうと気になってました。そこで語られていたのは、「監督は突然深いところに話がいってしまう。僕自身それが全部理解できているわけではまったくなくて、そういう監督のやり方が好きで、それに対して自分の作法を示せばいいと思って取り組んだ」というようなことを語られていた。なるほどなあ。ちなみに初対面の時には、後ろに公安がいるんじゃないか、などと緊張したとか。
「中身」に理解を示した気持ちになるのは、もしかしたらたやすいことなのかもしれない。ただ、つきつめて本当の理解なんて存在しないことを思えば、「作法」に敬意を払い、対する自分の「作法」と向き合うとういのは、とても筋が通ったことだと思う。前に進めるというか。

監督がNGを出す「音」は、大体あまりにもその場面にはまりすぎているときだったとか。実際には、その画面を見ながらセッションを繰り返し、予定の時間を大きく過ぎて、だんだん違う方向に進んでいったとき、モニタで見ているその場面もまったく異なった意味に見えてくるんだそうです。そういうテイクに、監督は喜んでOKを出したとか。
わたしたちは大概ものを見るときに、すでに持っている知識や常識で解釈をする。解釈の枠組みからはずれたときに、その事象はまったく違う側面を見せることがある。これはでも、既知の先入観から一度手を離す勇気が必要な作業ですよね。その一瞬の「ふわり」にセッションしている全員がついてこれるというのは、奇跡的なことだなあ、と思う。難易度の高い自由だなあ、と思う。

今後も競演がありそうなお二方でしたが、今回の映画音楽では、「映画」であるが故の制約が多数あったので、今回のようにライブで演奏ができたりと、派生的な部分でどんどん作品が進化しているのは、とてもうれしいそうだ。そしてその制約とは、音量や音域など、一般の娯楽映画と同じ基準内であることが前提条件で、それ以上はハイテク制御されていて融通がきかないらしい。監督はテクノロジーで自由度が高くなると思ってたのにつまらない、と言われていましたが、個人的には、「ああ、そういえばそうだよな」的な驚きがありました。
人間の生活を向上させるために、人は技術開発を積み重ねてきているはずなのに、それが今度は自らの首を絞めることって、世の中や自分の仕事上でも多々、多々あること。まあでも、無垢な視線でみるとおかしな話なんですよね。

「映画を作るのはせつない作業」監督が何度も口にするこの言葉が心に残った。だからこそ、永遠に続く時間に対しての今の一瞬を考えることができるひとに、音楽を頼みたかった、とも。
音楽に限らず、映画に限らず、生きるということはせつないことだと思う。「今」を生きるということは、せつなく苦しいことだからこそ、わたしたちは一瞬の記録に魅了されるんだろう。
監督の真意はもちろん分からないけれど、すぐ身近に深い闇とシンプルな喜びがありそうな、素敵な方でした。


で、ライブです。6人の器材がぐるりと並び、その中も客席になっている独特の雰囲気。わたしは外側の椅子席で聴きました。ジム・オルークがアコギでりんごのうたの旋律をなぞり、それから1時間ほどのセッション。画面には、壁面に重なった映画の場面がうつしだされます。
ミーハー全開でお恥ずかしいのですが、わたしも飴屋さんに興味津々。演奏前に機材を確認していたところ、机上には、
・りんご(足立監督も「りんごだ!」と子どものように喜ばれてました)
・画鋲を打ち込んだ木箱
・コオロギ
・小銭
・湯のみ
・ミキサー
・スポーツ紙
といった感じでした。

演奏が始まってからの、不二家のペコちゃんにかんする朗読も面白かったですが、木箱の画鋲がぎしぎしと、非常にアーティスティックな音を出すことに衝撃を受けました。小銭が落下して茶碗に当たる音も、まわりの音のなかで聴くと、衝撃的な緊張感をはらんでしました。うーーーーん。面白い。
ただ、割と全体におとなしめ? で、大友さんの心拍音に迫りくるエフェクタ効果があまり聴けなくて残念。
でも、りんごのうたは、本当に美しいですね。最初のジムのアコギはとてもはかなげでしたが、後半の大友さんの演奏は、かきむしるようになんとも泥臭く。人の記憶のなかをゆっくりと彷徨うような、独特な表情を持つメロディーラインに、胸がとても苦しくなりました。

ノイズ好きにはちょっとさみしかったけれど、りんごジュースを作るミキサー音すら先導する音の一部になるあの空間は、とても楽しかったです。そして、飴屋法水さんの、あの「りんご」で音を出すところに、物語と現実、いろんな境界を繋いで見ようとする素朴なリアルさがあって、やっぱり好きだなーなんて思って帰ってきました。

で、で、今日はハードワークあけのわんころさんと朝マックユニクロに行って来たのですが、昨晩飴屋さんが着ていた緑のジャージが売っており(汗)。メンズですがSサイズ着たらジャストで本気で買いそうになりますた。ここ繋いでも意味ないのに。笑。


使用後のギリギリ箱とりんご

ライブ後のう○このしっぽ