幽閉者 -テロリスト-

「幽閉者 -テロリスト-」を見て来ました。足立正生監督35年ぶりの新作としても注目されていますが、何しろ音楽が大友さんを筆頭にツボにはまりまくり。さらにPANTA赤瀬川原平など意外な人物が出演しているとあって、まあ、見ないわけにはいきません。
土曜日のユーロスペース18時代スタートの回に見ましたが、ほぼ満席。上映後に大友さんのライブがあったせいもありかもしれません。

女性率が低く、かなり世代が上、足立監督世代のおじさま方もちらほら、とちょっと異色な雰囲気。予告編上映もなく、いきなり始まりました。
ストーリーは以下。

ネタバレになるのであまり多くをかけませんが、人間としての尊厳を破壊される状況で拘束された主人公は、現実と妄想の世界をさまよいます。そのなかで自らの歴史を振り返るとともに、自分についての混乱が始まります。妄想の中に出てくる楽観的かつ扇動的な革命家たちは彼に告げます。「やるなら徹底的にやれ」。先に自決した無名の戦士たちはささやきます。「やりたいようにやれ」。宗教家は「罪を認め悔い改めて生きよ」と、汚らわしきを導きの書で殴ります。
見ているわたしたちも、次第に現実と妄想の領域があいまいになっていきます。

わたしは不勉強なので、革命がなんたるかを知りません。足立監督の時代背景にも理解が浅い。寺山修司を見た時にもいつも感じる、独特の毒々しい日本文化の描写など、描き方としては遠いものは感じないのですが、「革命」についてはやはり想像が及びません。
その範疇で感想を言葉にするなら、人が生きるということはたいへんだなあ、ということ。「やりたいようにやる」ことの難しさ。○○がやってみたい、やりたい、なんて口にするものの、果たしてわたしたちは本当にやりたいことなんて理解できるような存在なのか、と小さな絶望を感じました。それでもなお、極限状態に至ってもなお、やりたいことは何かを考えることで己を保つ主人公に同情、というより、やるせなさを感じました。混乱。混乱。混乱。その先に何があるのかは、結末を見てもわたしには分かりませんでした。
ただ、エンディングでひたすら流れるPANTAの扇動的なアジテーションと、途中主人公が解放され、「やりたいようにやる」と宣言して結局再び自決を選びながら、結局自分は原点に戻るのか、と意外な楽観と落胆を感じる場面とが、頭のなかに交互に残りました。

革命とは楽観の対極にあるのか。それとも楽観すらないと、存在すらできないのか。
これは自分で答えを出さないといけないのかもしれません。