非検索会議に参加

しました。忘れないうちに備忘録ー。

百式さん、橋本大也さんのいつもの会議に加えて、今回は増井俊之さん、茂木健一郎さんの豪華な講演付。

「非」検索会議という言葉には、検索以外にも様々な情報収集方法が生まれている現状をどう捉えるかという意味合いもあります。最初に橋本さん自身の最近の情報収集方法についての説明あり。情報をフィルターするRSSリーダーや、タグなどによる一覧、Q&Aなどによる集団の叡智の利用といったおはなし。

*ここは現在、使い手のレベルや情報必要度、求めている情報の質によって結構感覚が異なる部分かと。今日参加されていたギークよりの方々の平均使用方法みたいなことがちょっと知りたかったです。

次に百式さんによるよいサイト考。「シンプル」について。前にプレゼンを拝聴した時も思いましたが、整理されたリズムのある説明に、サイトの話というより、人生に思わず思いを馳せてしまいます。詳細はうpに期待です。
取り急ぎ講演のまとめをばー。

[増井俊之さんのおはなし]

情報の整理術、探し方にはこんなのがあります

  • 全文検索 → 文字列じゃないとダメ
  • タグ → 人によって、つけるときによってタグが変わるんじゃない?

そもそもSBMでタグ検索してるひとってどれだけいるのさ

  • 索引
  • wiki → いいんだけど小さい情報だと書く気がなくなる
  • 近傍検索 → 連想検索のいいものがない
  • その他のヒント
    • 二次リンクも意味がある見え方もある
    • データマイニングで情報をつなぐ → 「A」についてリストアップされているものが少なければ、「A」を持っている人が持っている確率が高いもの(共通のもの)もリストに追加(演算子)。

で、wiki×近傍検索がいいのかも?

  • Aさん、Bさんは人という概念でつながっているけれど、例えば二人が同じイベントに参加するなら、人概念まで遡らなくても何となくつながって見えたり。
  • タギングも画像など、本来言葉で検索できないものには有効

*初めて増井さんの講演を拝聴しましたが、とにかく楽しかったです。俺様が男だったらこんな歳のとり方をしたいなと思ってしまう、ステキ大人でした。
特に最後のAssoc wiki。編集をクリックしなくても書き込めたり、あれに関係があるあれがつながったりと、非常に感覚的でおもしろかった。何となくこんな風だったららくちんだな、がかたちになっている感じ。使ってみたいなあ。
あと、個人的に一番今関心がある「連想」的な概念が頻繁に登場して興奮。
最近一番困るのが、「さっき気になってたアレ、検索したいんだけど何だっけ?」な状況。メモればいいだろって感じなんですが、それができないのが怠け者の性。
「アレ」を思い出すには、○○していたときに考えたことなんだけどな、といった連想ヒント的な要素。ここが「言葉として引き出せない」から検索ができないもどかしさ。
ゆるい概念でつながったり、行動履歴とリンクしたら、想起の手助けになってくれそう。思い出せない「アレ」や、やんわり関係のあるものが自然に視界に入ってきたときの「へえ」。実は「知りたいことを知る、知ってうれしいことに出会う」ことが検索のひとつのモチベーションだとするなら、これも次の検索の課題だと思う。できたらいいな、がたくさんある。

[茂木健一郎さんのおはなし]

テーマ「search and choice」
■utilityとchoice
ウェブ上で人は「探して」、「選ぶ」=click economy
生きている限り変化を続けるオープンエンドな脳において、「choice」の基準になるのは「utility」。効用が高いものから選ぶ。

背景にあるのが「dopamine」(これには「reward」と「action」がある)。

「嗜好性」という要素も。
例:フランス料理はおいしかったけどもう一回食べたいかは別。もう一度○○したいと思うものかどうか。

■よいデザインとは?
これら統合して考えると、「よいデザイン」とは目に見える色、かたちでなく、機能=「抽象的な報酬構造における作用」
例:携帯電話であれば、いろいろな場面でメールが来たり着信があることによる他者との関連欲求を満たす。それこそが携帯電話の意味デザイン

Google as GOOD DESIGN
Googleはインターネットにおけるよいデザイン
トップページのレイアウトうんぬんではなく、A.I.の限界が叫ばれている時期に、「できることをやっていく」を「実践」した衝撃。

■それでも忘れるべきでは大切なこと
ネットに人間性の究極を求めても原理的に難しい。「原理的に難しいこと」をきちんと「認めた上」で、「できることをする」=「建築的経験主義」が理想的。認めないでやるんじゃなくて、認めた上で。

■再び「search and choice」
・不確実な状況での判断は難しい cf:ダニエル・カーネマン
ただし、utilityが基準になる
・(ネット上の)「ANOMALIES」
利他的状況を積極的に受け入れることがある
例:SNSのコメント。自分の利益にならないことでも積極的に行う。
ただし「action」が重要。人はその情報を「押し付けか否か」行動する意欲が
変わる。主体的、能動的であるほどdopamineも出やすい?

utility = reward + action
choiceにおいては、actionをどう強化するかも大切。

■ヒント
・インターネットと脳を比べて考えた時に、脳には常に存在するスパム。インターネットが自由なものであれば、スパムがよいものになる可能性や、そこに意味が生じたり、よい効果をもたらす可能性もあるかもね。
・検索、検索といってもやはり「探して」、「選ぶ」のがウェブ。「検索」からばかり見るのではなく、いかに選ぶかという人のactionが検索自体をオプティマイズするようなアイデアがあってもいいのではないか。
・つまり、インターフェース、レイアウト、視覚的なデザインの話ではない。utilityを高め、いかに人の行動意欲を強化するかが大切。盛り込まれたサービスだから再び訪れたくなるというような仮説に立つのではなく、「できることをやりつづけること」が大切。


*どの話もいつも自分が考えている視点と異なって面白かった。あることへの限界を「認めて」、「できることをやる」。仕事ではなく、生きるうえで、どちらもすごく大事なことだと思っていること。ただ、そのふたつを組み合わせて考えたことがなかったので、まさにあーーー、という感じ。自分は特に前者に執着しがちだなあ。限界を自認するある種の謙虚さ。個人的には「愚鈍であることをよしとしないこと」と、後者のような楽観主義ともいえる貪欲さをともに持つことは、なかなか難しい。できたらかっこいいんだけど。
ふたつを実現するためにまずできることは、美しいもの、すごいものに対する畏敬の念を忘れないこと。そしてディランを聴くこと。笑。「できることをやるのさ だからうまくやれるのさ」。かなあ。

*あと、スパムの話は漠然と感じていた部分。歪んだ形の人の意向の表れにこそ、何かインターネットの持つ特質や真理があるような気が何となくしています。だからものすごく気になる。


で、最後はいつもの課題ありの「検索会議」。ビジネスマンのお悩み解決的に爆発的にヒットするブログパーツ案を考える、みたいなお題。

今回初めて、グループディスカッションにも参加させていただくも、自分の発想に貧困さに落ち込む。目の前のサービスとか課題に頭をとらわれすぎだわ。皆さんの笑いありなアイデアを聞いていて、わたしは一体楽しんでブログ見てんのか? と自問自答。情けなす。

とまあ、こんな感じで。もうちょっと検索よりの課題だとうれしかったのですが、まさに脳トレで時流にのった気分の一夜でした。10時に終わってちと仕事をして、ちょろっと打ち上げに参加させていただき帰還。
みなさまおつかれさまでした!