RTCカンファレンス「ウェブ進化論」

RTCカンファレンス「ウェブ進化論」に参加してきました。
当日になって急遽もぐりこませていただいたので、もちろんテーマとなっていた「WEB2.0」本も持参していなくて。

最初に主催者を含めた4名の方によるトークセッション。
こちらは遅れたのであまりちゃんと聴けませんでした。。。
・群集の叡智
・脱エスタブリッシュメント
辺りが語られてました。
あとは、「あちら側」と「こちら側」の話。

職場に関して言えばネットにどっぷりなので、このあちら、こちらの意識はややぴんとこないのですが、ネットで仕事をしている人間の間においていえるあちらとこちらは、ネットユーザーを信じて夢を見れるか否かって感じがします。

で、本を読んで一番自分が感じたことを各々まとめた後、6人位のグループでのディスカッション。
わたしが参加したグループ、というか全体に大人な社会人の方々が多く、みなさんビジネスに特化した話題が多かったです。2.0は分かった、じゃあどうやって稼ぐの? というところ。質問でもAPIを公開して、どうお金が落ちるの? ってところが多かった。

自分の考えを整理するために、何を書いたかを振り返っておくと、
この本を読んで、ほぼふだん考えている話だったものの、ネットの歴史を整理して、完結に関連付けた(時にシンプルすぎるほどに)点と、PCにおける2.0的な話は完全に門外漢だったので新鮮でした。
一番印象に残った言葉は、「ネット上の悪意は取るに足りないものだ」的なおそらくGoogle社員の発言。

2.0とかタギングとかの言葉が出てくるようになって、個人的に一番感じていたのは「それでサービスが荒れないのか」という猜疑心でした。
例えば共有DBの中の機能としてのタグを、悪意で個人に都合がいいように記述したりする人が多く現れるのではないか、と。
その結果、DBとしての機能が低下するんじゃないかと。

なので、ライブドア知識検索にY!answere並のスピードでタグが実装されていたのを見た時には、彼らの勇気に驚きました。現時点での日本の知識検索はまだまだハードルが高く、低くするには掲示板的なコミュニティーとして利用されるように敷居を下げるか、成功例であるはてなのように、ポイントという共有の価値であり痛みであり喜びを付与するか。
ましてや、あの事件の後のライブドアの新サービスにはどんな恣意的な投稿があるやもしれぬのに、DB作りの一部をユーザーに任せる彼らはすげーなと思ったわけです。

悪意はとるにたりないもの、善意で淘汰されていく。
この一見楽観的な発想はどこからきているのでしょう。

ひとつはロングテイルという言葉を1.0的に解釈することで解決がつくかもしれません。

頭部分の圧倒多数は善意に基づいてDBを作るだろう

悪意を持つユーザーはロングテイルの後半に、母体数としてのまとまりをもつことなく点点と存在するだろう

テイル部分は取るに足りない存在として見逃してOK

何だかネットと逆行したいやな見方ですが、一理あるかと思います。
書籍のなかで語られていたのは、やはりネットユーザーの中でもエッジ部分の話であり、理解する人たちも限られています。
でも世の中はそんなに簡単に変わらない。2.0を意識することなく普通にネットを使う中間層が圧倒的なボリュームを持ちます。
彼らはそういった細かいことをいちいち考えたり、根拠を探して行動する制約はまったくないフリースタイルなユーザーたちです。

全てのひとを同時に満足させる答えほど難しいことはないことを考えると、一番母体数が大きいところをひとまず満足させる。という手法はありのような気がするし、現在のような端境期だからこそ、その手法を選ぶべきであるような気もします。
エッジの話を理解するのはよくても、それを形式的に振り回してもだれもついてこないのだから。

話がずれました。悪意、善意の話。

これに関連して最近2つのことを考えています。
どちらもひろゆき氏に関わることなのですが、ひとつめは2ちゃんねるの変化。
VIPPERという概念が登場してから、明らかに2ちゃんねるの流れは変わりはじめました。おそらくユーザー数の減少という結果にもつながっていると予測しています。

ただし、まあ、ネタ系であるとはいえ、VIPPERの独自性には目を見張るものがあります。それは「プライド」と「クオリティ」に代表されるんじゃないでしょうか。
FLASHアニメしかり、オチネタしかり。
これまでの批評や誹謗中傷から一歩進んで、自分達が何者かの「自覚」を持って「一定の基準」に達したものをあげていくという試み。
内容のベクトルがどこであれ、これまでの2ちゃんユーザーの掲示板への取り組みとは一線を画したことは間違いないと思います。
その結果、2ちゃんねる自体のユーザー数が淘汰されはしたものの、新たな関わり方で生き続ける。

ここで2つ目のひろゆき氏に関しては、過去のブログにあげました
彼の乱暴に聞こえるコメントは、共有できない自覚を強いる提供者側的発想への嫌悪感、苛立ちからきているんだと思います。ただ、議論にならない、いわゆるあちら側とこちら側の壁を鉄壁にするような発言は彼らしくないな、とは思うのですが。

ここでいえるのは、情報を公開、共有することに、一定の自覚や意志を強いられることは、人にとって決して愉快な感覚ではないということ。
逆に、自ら進んで共有したいプライドや自覚を持つということは、人にとって達成感という快感を伴うということ。

はてななんかは、この感覚を自然にみんなに共有させることができた会社だなあと思います。そして彼らは、会社、提供者という概念にこだりが薄く、むしろ自分達が参加者としておもしろいものを作ろうというクリエイター的な立場に立ちつづけているからこそ、互いのモチベーションが保てるのかな、なんて思うのです。

パネルディスカッションで「人は誇れることには喜んで参加する」という話がありました。これって、ネットが云々とかいう以前の、小さくて汚れていてでもどこかピュアなところも持ちえるかもしれない、人間の本質そのものなんじゃないでしょうか。
日常生活のいろんな場面にある話。

あーーーー長くなってさらにまとまりがなくなった。。。
ちょっと1回整理しよう。。。