「海辺のカフカ」

をいまごろ読了。
久々に村上春樹の物語らしい物語を読んで、ちょっと飽きながらも安心する。
ただ、主人公が15歳であることににどこまで意味があったかが微妙。
こんな居場所のなさや不安は、大人だってたくさん抱えているし、
年月がたったってうまくやり過ごせるものじゃないだろうと思う。

でも、ひとつの答えを出すまでに延々と物語のサークルをのぼっていくこの感じ、
無駄だらけなこの感じはやっぱり自分は好きだと思う。

いろんなものを捨てていかないとな。
そして少しずつ進歩しないと。
立場や地位、評価とかそんなもんじゃなくて、
自分が確信をもってわかってきたといえるものを増やしたい。

その意味で、星野君がステキだなーと思いました。
だれが認めてくれるでもないけれど、自分の内面にふざけながらも目と耳を向けられる人。
実はそんなに簡単なことじゃない。

それにしても、彼の小説には過剰なまでのペニスの描写が登場する。
これがベストセラーというところに、いつも奇妙な違和感を感じる。
おそらく象徴であり、メタファーなんだろうけど(大島さん流)、
この人は実は人間の内面をあまり信用してないんだろうな、と感じる理由でもある。
それは決して悪い意味ではなく。

人間の内面や心を特別視したり、重みを持たせるのは決して賢明ではない。
たぶんもっとどうにもならないものがある世の中に自分はいることを自覚するべきなんだと思う。
そのひとつの象徴が性的な衝動なのかなあ。と思う。
悲しくても苦しくても楽しくても怒っていても、感情に関係なく沸いてくる衝動。

人間の稚拙な頭を捻っても、脆弱な心を痛めても、
そんなものを超える何かの気配を感じること。待望すること。

それはこの物語に大きな変化は与えていなくても、「そこにある」こと自体に意味があることなんだろう。