「メディアアートってなんなんだ?」備忘録

というICCのプレイベント的?トークショーにいってきました。
以下ざっくり備忘録程度に気になった内容のメモメモ。
2010/05/03 @初台ICC
出演:大友良英、小沢康夫、畠中実

■今回のテーマの由来
去年くらいから、いろんな媒体で「メディアアート」が取り上げられるようになってきた。
今回は「内側」ではなく、「メディアアート」の外側のお二人を招いて、外からどう見えているのかを引き出す試み。

□大友さん
元をたどると吉田アミツイッターなのかな?
この前の東京都現代美術館でのアルスエレクトロニカの展覧会で、「音楽」がほとんど取り上げられていなかったこと、構成が余りに偏っていたことにちくっといっていた。
吉田アミさんもゴールデンニカでグランプリをとったりと、海外では評価されているのに、その情報がまず日本に入ってきていない、紹介されていないというのも問題。
でもアルスエレクトロニカ展は、何か文化庁なりの利権や何かを排除するような意図を感じる構成だった。
結局、囲い込んでジャンルを作っているだけ。これはメディアアートに対しても感じていること。

□畠中さん
99年9月9日、リンツで行われたアルスのオールのイベントで演奏する大友さんを見たけれど、向こうでは、サウンドアートとメディアアートの出自が一緒ということもあり、垣根なく扱われている。
そもそもインタラクティブな作品は、もちろん観客が楽しむのもあるんだけれど、作家本人がパフォーマンスして見せた方がわかりやすいので、必然的にパフォーマンスアートと親和性が高くなる。

□大友さん
うん。東京では、実際に起きていることは地続きなのに、一部がぬけ落ちているのが問題。
ただ、メディアという点でいうと、音楽に関していえば、広告媒体しか存在させてくることができず、特殊音楽を扱うようなメディアがもてなかった。特殊音楽のメディアなんて、ユリイカの特集号くらい(笑)。
ただ、現在では音楽家の側が「メディア」について考えざるを得なくなってきた。テレビの力も変わってきたし、CDだって売れない。メディアに音楽を乗せることの意味についてを、危機感をもって考えるようになってきた。
従来のやり方では、音楽は伝わらなくなっている。
音楽をやるためのサバイバルとしてメディアを考え始めた
感じがある。

□畠中さん
去年千代田の学校の屋上で行われたアンサンブルズもひとつのやり方ですよね。展覧会?ってうのとも違うか。

□大友さん
展覧会、というのは違うのかな。複数のアーティストが協力して場を作る=アンサンブルズ。コラボとかは近いのかな。自分の音楽を伝えるための「メディア」そのものから考えた試みです。
そもそも音楽には最近まで2種類しかなかった。
ひとつめが「生演奏」。現代になって、メディアができて録音、電波にのせられるものになり、パッケージされた音楽が主流になってきた。
でも、この二通り以外のメディアがあってもいいんじゃないか。
アンサンブルズは、なるべくたくさんのひとに同じ音楽を届けるマスに均一化された20世紀の音楽とは異なる、「マイナーメディア」を作ろうとした試み。

□畠中さん
90年代初頭は、実はメディアアートの萌芽でもあった。いろんな施設もできた。こういった施設やイベントは、お金がないとできなかった。バブルもあり、すごいお金を使ってぜいたくなイベントをやってきた時代。
そもそも、個人の財力でメディアが使えるようになったのはインターネット以降でしょう。
「自由ラジオ運動」とか、「ビデオアート」とか。こういうのって、映画やテレビといったメディアじゃないもの を作ろうとする試みだったんだよね。もしかしたら、現在のUstreamとかの原点かもしれない。
ちなみに、当時のビデオアートも、「ビデオドラッグ」みたいな「知覚の拡大」的なものが多かった。このあたりもメディアアートに通じる感じがある。
そうやってたどっていくと、メディアアートって、インディペンデントであり、オルタナティブメディアだったんじゃないかと。
お金を大量に投入した時代もあったけれど、たとえば伝素玩具を工夫してものを作るとか、ハックするとかは、メディアアート的発想に近いものだったのではないか。

□小沢さん
そもそも畠中さんとのであいは「オフサイト」。代々木にあった伊東さんがやってた一戸建てのライブハウス兼カフェ兼事務所?そのころ自分は芸術見本市なんかをやっていた。2003年頃?

□大友さん
オフサイトはすごい面白かった。それまでは輸入してきた音楽をどこでやるか、って考えていたのが、自分たちがすんでいるこの土地のこの場所でどういうことができるのか、を考えるようになった。一戸建てでできる音楽をどうやるかっていう。
音楽を囲い込むんじゃなく、すんでいる場所でどういうことができるのかを考えることへの変化。「場所に音楽を合わせる」という発想自体が画期的で面白かったよね。
さっきのお金がないところでどうするか、じゃないけれど、「限られたなかで何かをやっていく」感じ。
生活の現場でなにができるか、というスタンスが正しいのに、バブル期発祥のせいで予算どれだけあるか、が起点になっているのが問題。

□小沢さん
ジャンルごとに人がすみわけられているのが疑問だった。ダムタイプで何かが変わった。音響をやるひととか裏方さんの意味が変わった感じがあった。

□大友さん
今のメディアアートでは、過去の「アンビエントミュージック」にちかいことがおこってる。ブライアン・イーノ風をみんなが目指してしまったように、「メディアアートっぽいもの」をつくることが目的になってる?

□畠中さん
名前が定義されると、「スタイル」として模倣されるものになる、というのはある。でも、名付けられた時には未知のものだけれど、名付けられた後、模倣しか起こらないのはつまらない。
新しく名前を付けられる何かを作ろうとするべき。

□大友さん
メディアアートを囲いこむほうにキュレーターが動いているのが不満だ!!
定義を求めている場合じゃない。

□小沢さん
身体表現のほうが助成金がでやすいというのは確かにある。
だれもやってないことに勝機があると思ってやっている。

□大友さん
今のメディアアートって、中の人に対して、すごいだろっていってるかんじ。

□畠中さん
ネット以降のアートってみんなそう? 何かがおこるとコミュニティができて、共同体言語ができてしまって、そのなかでやりとりが起きてしまう。
メディアアート」とは、芸術と工学がいっしょになったもの。アートはエンジニアリングに何かを解決してくれることを期待していて、エンジニアリングはアートのやり方にあこがれていた。

□小沢さん
話はずれるが、今全国の公的な劇場で、きちんとコンテンツを見せて運営できているのは数館しかない。監督もいないし、劇場運営もわかってないひとがやるんじゃなくて、きちんとできるひとを一部にでも投与して、しきり直すような法案の検討が進んでいる。うまく機能すれば、東京以外でもよいコンテンツが見られるようになる??

□畠中さん
供給していくシステムができれば変わるのかな。
見本市みたいなのをやって、各劇場がかいつける、みたいな。

□大友さん
国のことはちゃんとしたひとに仕切ってほしい。
自分はもっと足下のところをみたい。
たとえば、ラジオ、テレビがさわれるメディアになってきた。

□畠中さん
テレビはクールでラジオはホットって言い方があったよね。

□大友さん
ラジオはリアルタイムじゃないけど直接指名した質問がくる感じ。

□畠中さん
メディアアート」の定義は法律上?でも定義されてる。たぶんそこに違和感があったりして、「定義されちゃった」側から発言しなおさないといけない雰囲気がある?

□大友さん
作る側からの気運も高まっている。批評されてまた文句をいうとか、そういうやりあいが健全なはず。

などなどなど。

twitterを見ながらの質問への回答があったり、若干とっちらかった感じはありましたが、大友さんの感じている作り手のフラストレーションや焦燥感、畠中さんのつかみどころのないものを場所でとらえようとする苦悩、小沢さんのクリエイターでなくエディター、プロデューサーの立場からくる責任と覚悟、距離感みたいなものが伝わってきました。

「今生きているこの場所」でできること、自分のサイズの中でものを考えること。
ひとつの正解ではなく、オルタナティブな何かを探していくこと。それがものを作ることだという考えにはすごく共感できました。

そんなにえらそうなものである必要ないだろうし、国が一律で援助をするような代物である必要もないと思っていて、伝えたい人がいて、受け取りたい人がいる。
それ以外は自由であってほしいなと思います。

なので、劇場があるから、そこの人を投与して、コンテンツを投入して、みたいな発想にはどうしても疑問を持ってしまいます。

どこで見るか、なにを見るか、そういうのって多少の不便と窮屈があってもいい気がするし、作り手の側から場所が生まれたり、受け取りたい人たちからコンテンツを呼び込んだり、ということがもっと起こっていってもいいんじゃないかと思います。

今日の話を聞いていても、「ウェブ」の誕生から、人のコミュニケーション、もとい、コミュニティが変化していったことが、アートにも大なり小なり影響を与えていることは実感できました。

twitterUstreamを経て、ネットがつなげるコミュニティが広がっていくのか、せばまっていくのか、クロスしていくのかまだ見えないけれど、国が一律で云々のような無駄な感覚に対して、意志を持った人たちの声がつながっていくといいな、と思いました。

メディアアート」という特殊な成り立ちを持つ分野ではありますが、つまるところ、アートについて回るコミュニケーションの側面に、個人的には関心が深まった3時間でした。

登壇者のみなさま、おつかれさまでした!
あ、停電EXPO、知らなかった。見たい!