サマーウォーズ

見てきました。
豊洲の映画館のでかさときれいさにも感動しましたが。

summer
はがきもらいました。


以下ネタバレかも、ざっくり。

わたしはウワサほどの深読みを全然しないで見ちゃいました。

ozのロゴと色の感じが中村一義くん思い出しちゃう、とか村上隆? 的世界だったりそっちのほうが気になったけど、
道徳と情報の授業に使えそうな、学びの要素が多かった気がします。



前半のハイライトはやはり大おばあちゃんの死。
負け戦がみえる形勢でもあきらめなかった武家の血を引く彼女は、
ozという架空都市で起きた悪意に満ちた混乱が現実世界に及んだ時、一族にはっぱをかけ、
自らあらゆる知り合いにダイアル電話で訴えかける。



人が動き、解決したかと思った事態が小さな前進に過ぎなかったこと(そしていかれた人工知能に簡単にのみこまれたこと)、
彼女自身がプリミティブで人間くさい「まずおなかいっぱいたべる」という遺言を遺して亡くなったこと、
が確かに何かを象徴しているのかもしれないです。



その後をいじめられっこでひきこもりだった少年と、大家族にふれて何かが変わった高校生、
あきらめずに戦うことに意義を感じる武家一家が引き取り、思春期の恋と挫折を越えた女子高生が戦いの舞台に立つ。

ここで世界のoz住人が彼女を見守り、味方になるとメッセージを送り、行動を起こす。
性善説的ではあるんだけど、これを見てたら「スラムドックミリオネア」がフラッシュバックしちゃった。

この映画のハイライトでも、スラム街から這い上がった青年の最後の戦いを、国中の人が見守り、はげます。


キングカズマと崇められる少年も、サクセスストーリーに王手をかける青年も、
コミュニティの期待を一身に集める。
それを背負うこと、の意味よりも、みんなが期待し、応援するこの雰囲気は、
世界の変わり方へのわたしたちのコミットのし方の変化のように感じた。


世界がいい方向にゆっくり進むことは期待できず、自分自身が背負うこともないけれど、
降りてきた神に自分を託してしまう感じ。
いいのか悪いのかはわからないけれど、ネット上で交わす言葉に真実も含まれているならば、
それもひとつのメッセージであり、コミュニケーションなのか。
ネットの世界は、小さな善意も小さな悪意も、集まりやすい場所ともいえるのかもしれない。



まあ自分も、同じようにキングカズマに「キターーーーーーーー」叫んで、
アバター差し出すと思うけど。あ、でも見てるだけだったりするのかな。。



ぐだぐだ書きましたが、夏休みに親子でみて感想文書くにはぴったりな一作かと。


たとえば、同じ時間と場所を共有していても、人それぞれ守るべきと思うもの、見ているものによってとる行動が違うこと。
違ったとして、それが善意からくるものであれば、他人に責める権利がないこと。
とか、高校生が小学生にさりげなく教えるあたり、己をふりかえらされました。


そしてモテを諦めている理系少年が万が一いたら、ぜひ見るべきかと。
数式といてるとこはほんとにかっこいい。



にしても、DSi花札にって、任天堂満載だったにゃー。