「バベル」鑑賞@DVD

ロッコを旅行中のアメリカ人夫婦のリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)が、突然何者かによって銃撃を受け、妻が負傷するという事件が起こる。同じころ、東京に住む聴覚に障害を持った女子高生のチエコ(菊地凛子)は、満たされない日々にいら立ちを感じながら、孤独な日々を過ごしていた……。(シネマトゥデイ

賛否両論がある作品のようだが、少しだけ感想。
アメリカ人がモロッコで銃弾で撃たれる、
その銃弾でやんわり現在と過去がつながった世界各地の「人」びとの生きる姿が描かれた作品。




「そこの繋がり」が映画として甘いとかいろいろ書いてあるものを読んだけれど、
そんなことどうでもいいなと思った。
映画としてとかアートとしてとか、そういうことはどうでもいい、本当に。

非常にスマートで美しく描かれたなかに、「人」が生きる苦しさや重さ、
そして生きるうえで、だれかを巻き込み、巻き込まれているという事実だけが自分の胸に残った。

ひとはひとりであり、ひとりではなりえないものだと思う。
だれかを犠牲にして、だれかに救いを求めて、だれかに許されたいと願いながら生きている。

弱者と強者という軸でいえば簡単かもしれない。
この作品のなかでも、長年築いてきた暮らしを一瞬で崩される
メキシコの不法就労者のエピソードが出てくる。


何が起こるかわからない世の中で、わたしたちはいつも何かに巻き込まれ、何かを選択して生きている。
たとえ、それが取り返しのつかないことになったとしても、
その後ろには自分が体験してきた事実があるだけだ。


強者と弱者において、弱者と弱者において、弱者と強者において。
いろいろな場面で、人は底まで落ちてはそこから逃げたり、向き合おうとしたりしながら、
それでも生きていく。
擦れ合った人たちの心に何かを残しながら、またその人の中に何かを背負わせながら。

どんなにか、ひとりたりえない存在かが、残る映画だった。



「最も暗い闇に 最も輝く光」というような言葉が最後にメッセージとして出てきた。

なるほど、多くの登場人物が、最悪の状況において、一滴の善意を見せる。

それは同時に、その一滴を受け取った人に大きな十字架を課せることでもある、
と思う自分は屈折しているのだろうか。


ただ、そんな光と闇を含めて、人はひとりたりえないものだと思うのだ。




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小飼弾さんのお宅がロケ場所として提供されていた、と見終わってから知りました。
いやもう、アーバンで空の上みたいなところでした。