ロングテールの果ての価値

先日というか先々月。初町田BOOKOFFを体験して大変興奮した次第ですが、持ち込んだ本(とゆーかほとんど漫画)の三分の一位が買い取り不可だった。「木島日記」とか「MONSTER」とか、どうして一部しか買い取ってもらえないんだろうと落ち込むも、このお店の値段と充実の在庫を見ると諦めざるを得ず。ほかにも、どうして早見純は買い取ってもらえるのにやまだないとはダメなのか、とかいろいろ不思議要素はあったものの、何しろこの店の規模に興奮して、さらに本を買って帰る。

で前にアラーキーの写真集やらVOICEやらを割りとステキなお値段で買い取ってもらえたことを思い出し、売れなかった本を下北沢のDORAMAに持ち込んでみた。結果気持ちよくすべて引き取ってもらえてほくほくだった次第ですが、ここでふと考えたことを整理。
ここのDORAMAは本当に街の空気を色濃く映していて、昔のOliveやら、コーネリアスが表紙のJAPANやらがビニール袋入りで結構な値段で売られている。Olibeなんて250円とか。当時ですら350円程度だったことを考えると、10年以上たっても100円しか値が下がっていない量販雑誌なんて奇跡に近い。というより、この街のこの店に集う客層にだけ通用する事実なわけだ。

変な話だが、実家にいたころはどんな雑誌もとっていた。地価が安いから置いておけるだけの部屋の広さがあるから故の習慣だけれど、東京の一人暮らしではそれは厳しい。下北辺りの家賃を考えたら、そんな収納スペースに余裕のあるカルチャー少女なんていなかろう。
前にガビンさんが、Macの外箱とかをとっておくスペースに対する東京の家賃平均を計算すると、外箱なしで買取価格が下がる方が損失が少ないみたいなことをいってたな。あの時はすごい発想だと思ったけれど、まあ家賃を払ってみるとそういうものかと思う。

話がそれました。で、物の「価値」の話です。インターネットの普及とともに変化したもののひとつだと思うのが、「物の価値」。ある物を持っている人とほしい人を簡単につなぐことができるネットにおいて、両者が合意に達すれば、物の価値はそれぞれに決まるという変化が起きた。かつては、自分にとっては非常に価値が高いものでも、他人にとっては低いだろうな、で終わっていたのが、同じくらいの価値を感じる買取人と出会える可能性があるのがネットの力だ。

YOUTUBEに代表される動画サービスを見ていると、今まで自宅に山積みのビデオを所有し、たとえば「夜ヒット」を全回分動画データとして保有している人に大きな変化が訪れたことがわかる。ただの自己満足だったのが、公開することで多くの人が喜び、閲覧し、時に神のように提供者をあがめる。実際の言葉でのコミュニケーションがなくても、ブックマークの嵐を見れば、自分の家で眠っていたニッチな情報データが、こんなに多くの人に喜ばれるのか、という手ごたえを得ることができるだろう。

こんな風に、今まで個人にしか意味のない情報を所有する人が、いきなり非常に価値のある情報所有者になる。

これは動画に限った話ではないと思う。例えば、問題記載があって回収された書籍を所有する人は、これまではそのエピソードを反芻してこれは買っておいてよかった、といった自己満足を得ていたはず。それが今度は、概要箇所を携帯でパシャリと写真にとって公開するだけで、多くの人が興奮して自分のブログに貼ったり、トラバしたり、といった手ごたえを得ることになるだろう。

こんな風に、動画といった元来ネットと親和性が高い情報に限らない。どんな物でもネットに載せることができる情報データになった瞬間に、それを欲していた人との出会いが生まれ、そこにコンセンサスのとれた新しい価値が生まれる。

ここで、先ほどのオフラインでの下北沢のDORAMAの例を思い出してみる。オリーブが250円は、世間の大半の人にとって「?」な価格設定だろう。それでも買う人がいるという事実が大切だ。ほしい情報をほしい人にマッチングさせることができれば、どんな物にも世間の常識とは異なる価値が生まれる。それはひょっとすると、メジャーなものよりも、ロングテールの果てのニッチなもののほうが価値が高いのではないか、と最近思う。

再びオンラインの現状に目を移すと、例えばスポンサーサイトを例にとれば、不動産や保険といった、多くの人に関連があるワードの方が価格が高い。価格を価値と捉えるならば、価値が高いということになるだろう。これは先ほどあげた「ニッチなものの価値の高さ」と矛盾する。うーん。あくまでも想像ながら、これは確率の話だろうか。
多くの人に関連があるワードは、とりあえず多くの人がクリックしてかする確率が高い。街中でボールを投げた時に、人ごみが多い方が当たる確率が高いのと同じだ。

対するニッチワードは、当たる確率は低いものの、当たった人が文字通りの「当たり」である確率が高い。要は、当たる確率が高い人にいかにリーチするか、マッチングさせるかの問題なのかな、と思う。

ちょうど最近、YouTubeで離れた場所にいる相方さんと爆笑しながらラーメンズを堪能した。同一IDの方がいくつも、貴重なライブ動画をあげてくれていて、次から次に見て爆笑。ああ、このままラーメンズDVDを買って見たい! と興奮のなかで思った。しかも、この動画をあげてくれていた人が仮にサイトを持って、アフィリエイトをやっているなら、感謝をこめて(笑)この方のID経由で購入したいなあ、と真剣に思いました。

愛着があるもの、執着があるもの、思い入れがあるものに関しては、人はその物を手に入れる経路や、そのものとの出会い方にもこだわりたくなるものだ、ということを身をもって体験しました。

どんな風に探していた「あれ」との出会いを提供することができるか。
ここにも意外に、検索サービスの可能性が残されている気がします。