非オシャレ系

なんで自分はオシャレなものが嫌いなのか。
改めて考えてみた。

1.ひねくれものだから
2.飽きっぽいから

1が全体の8割だろうな。
2に関していえば、自分の飽きっぽさを死ぬほど憎み、心の裏側で快く思ってます。
飽きっぽいが故になにごともサラリと見るのは人生の無駄じゃないかなって文脈。

でも同時に、飽きたあとの後味の悪さほど不快なものもない。
飽きるならかじるなよ、と自分を責める気持ちと、
「かじんないとわかんないもんもあるじゃんよー」のせめぎあいが耐えがたい。

結局自分はそれしかなくて身を削ってる人、
そしてその人の偶然にほかならない産物が好きなんだろう。

空気の色やにおい、けだるく重い時間の感覚を無意識にうつしてしまった写真とか、
何も狙っても目指してもいないのに、見る人の視覚に未知の構図を見せてしまう絵画とか。

わたしは巡り巡って、そういうものにいつも戻ってきてしまう。
らせん状というのではなく、
時間軸を縦に、円がスライドしながら、心地よい感覚で重なっている感じ。
その間隔はほんの数日だったり、ときには数年だったり。

いろんなものに飛びついたり、離れたり。
頭が痛くなるイルミネーションとか、
おしゃれにこじんまり見えるように計算された雑貨のラインとか、
聞いたことがあるようで耳にこびりつくリフとか、
余裕があるときに見上げる星空の、余裕があるが故の美しさとか。

でもわたしが戻っていくものは、
もっとありふれていて、大きな主張もしないのに、
心のどこかに水たまりのように染み込んでいるそれだ。
ときどき、その水たまりを視線のなかで認識する。
いつもはスルーしている自分が許せるのに、ときどき。

今日は昨日の続き。どんな未来も今日の続き。
そんなときどきが、その地平をずらすことだけ。
それだけは飽きずに本当は望んでいるのかもしれない。

本題から大きくずれた。笑