堂々と批判できるひと

年明けから妙に更新してますが、
基本的に音楽だの好きなことの話ばっかりで、
わあたのしみだの、はやくでないかにゃあだの。

こんなことばっかり書いてると、自分はあんまり戦ってないなーと思う。
会社のなかの仕事では多少戦うも、人間性に響くような内容ではないようなので割り切れる。
雑誌を作っていたころは、24時間自分と他者と、自分のなかの自分と、戦っていた気がする。
形に残ってしまう物を作るのはそれだけ痛くてしんどい部分を引き受けるってことなんだろう。
あの記事はあれでよかったのか、あんな素晴らしいものをみてわたしに何ができるのか。とか。
今思うとそれ自体お前の小さい了見が生み出す無限地獄だよ、といいたくなるけれど、
そのときは真剣なのだし、まあ悪いことじゃない。

戦っている時に、自分の内面ばかりをひたすら責めまくるのが自分のSM家内制手工業チックなところだ。
苦しめているのも、苦しんでいるのも半ば楽ちんで言い訳しやすいってのもあるんだろう。

で、本題。
牙を周囲に向けられるひとがかっこいいなと最近思う。実は前から思っていた。
吉本隆明が好きな理由もそこにある。
あれだけの知識を持ち周囲からありていな敬意をもたれているひとが、
正々堂々と論争相手を馬鹿アホだのだのと、時に幼く吠える。

聞き流すことだっててきるのに、
非常に安い言葉で堂々と喧嘩する。
老人になっても、そんな幼さと浅はかさ、
そして度胸のある人間になれたらいいなと思う。
今の時点でできてないから相当難易度高かろうが。

昨日、豊田さんの日記を読んでいてそう思った。

「ライターはパッとしないわ」
って一言。
自分が発したものを他人がどう感じたか、もとい、どれくらい向き合ったか。
そんなことを理由に他人を責められるひとは、かっこいいなと思う。
それがスマートな行為かどうかはもちろんどうでもよく、
自我を剥き出しにして戦っているからこそのワガママだと思う。
そのワガママの責任も見苦しさも引き受けるって覚悟だと思う。

社会の中で生きていくことはしんどいなあと思う。
他人と接するたびに振りかざす自分の常識や方法論は、間違っているんじゃないか、と思う。
間違っているんじゃないかと思いながら、いつまで振りかざし続けるつもりか、と迷う。
間違いを認めたとして、過去に踏みにじってきたものはどうなるんだろう、と悩む。

こんなことを考えている限り、他者に目を向けるのはむずかしいよな。
でもなんとなく、もうすぐ答えが見つかる気がする。
間違いは間違い。改めて信じられるものを信じる。
そこのつじつまがあって初めて、自分の気持ちは「外に求めること」に向かうことができる気がする。
「パッとしないわ」
こんな言葉を吐けるだけの意志と執着がもてる人間になりたい。