言葉にすること。

この数ヶ月、いろんなことがありました。
言葉にすると数行で終わってしまうことかもしれないけれど。

自分がこんなにひとつのことばっかり考えてしまうのかと、呆れる部分もあったし、
仕事が嫌いな自分が、仕事すら逃げ場にできるという初体験もありました。

ずっといろんな人たちをバランスよく満足させられるような結論を探してきました。
でもそれは、自分自身がそれで救われたいからに過ぎないわけで。
他人の満足を、さらには満足の先の結末を、
予想する術も、保障する知恵もなにもないくせに。
わかった気になってました。

迷惑をかけた人たち、本当にごめんなさい。
わたしは非力で意気地なしで役立たずなしょうもない人間です。
だからこそ、きちんと自分が信じること、選ぶものを強く思う勇気を持ちたい。

この数日で、自分はその答えしか選べないと気づきました。
言葉にするとまるでマイナスに響くけれど、
丸腰な自分的には、どこかうれしく感じているのです。

本当に信じるものを前にしたら、全てを捨てることなんて何でもない。
そういう青さを持っているつもりで、目に、心に、いろんな塵がつもっていたことに気づきます。

不安のない人生なんてきっとどこにもない。
この数ヶ月の経験で、毎日に潜む言葉にしないことをよしとしている懸念や
何も約束してくれない未来の強さを心の一部で感じられるようになった気がします。

その先にあるものもやっぱりわからない。
それならせめて、それしか方法のない瞬間の感情を許してやろう。

理屈のかたまりの自分は、いつも理屈上こうだからを結論にして生きている気がします。
でもここ半年で気づいたのは、自分はその結論にきっちり乗れるほど完ぺきな人間じゃないということ。結論を据えたためだけに、自分のいろんな限界や不安を見ないようにして殺してきた気がします。
それがある意味楽だからでもあり、認めて背負う自信がなかったからでもあります。
って書いてる時点で、すでに理屈っぽいのですが。笑。

いろんなことを言葉にしたら、
なんだか楽になりました。
大好きなひと、大好きなもの、大好きなこと。
ほかに考えることなんてそんなにないに違いない。